フランス ディビジョン2 09/27 12:00 4 カルカソンヌ v ペルピニャン W 23-26
フランス ディビジョン2 09/18 18:45 3 ペルピニャン v ルーアン W 20-14
フランス ディビジョン2 09/12 19:00 2 ペルピニャン v モン・ド・マルサン D Postponed
フランス ディビジョン2 09/03 18:45 1 ビアリッツ v ペルピニャン L 21-12
フランス ディビジョン2 03/08 13:00 23 モントーバン v ペルピニャン W 23-27
フランス ディビジョン2 02/28 19:00 22 ペルピニャン v ルーアン W 57-12
フランス ディビジョン2 02/20 19:45 21 ビアリッツ v ペルピニャン W 18-22
フランス ディビジョン2 02/13 20:00 20 グルノーブル v ペルピニャン L 20-10
フランス ディビジョン2 01/31 19:45 19 ペルピニャン v カルカソンヌ W 53-10
フランス ディビジョン2 01/26 13:30 18 モン・ド・マルサン v ペルピニャン L 34-14
フランス ディビジョン2 01/17 19:00 17 ペルピニャン v オーリヤック W 38-15
フランス ディビジョン2 01/09 19:45 16 ソヨー・アングレーム v ペルピニャン W 20-23
フランス ディビジョン2 12/20 19:45 15 ペルピニャン v モントーバン W 41-14
フランス ディビジョン2 12/13 19:00 14 バレンス・ローマンズ v ペルピニャン W 28-29
フランス ディビジョン2 12/05 19:45 13 ペルピニャン v ビアリッツ W 29-25
フランス ディビジョン2 11/24 13:15 12 ペルピニャン v グルノーブル W 20-13
フランス ディビジョン2 11/14 19:45 11 オヨナ v ペルピニャン L 21-19
フランス ディビジョン2 11/08 19:00 10 ペルピニャン v ヴァンヌ W 47-17
フランス ディビジョン2 10/31 19:45 9 ヌヴェール v ペルピニャン L 14-10
フランス ディビジョン2 10/18 18:00 8 ペルピニャン v モン・ド・マルサン W 44-17
フランス ディビジョン2 10/11 18:00 7 オーリヤック v ペルピニャン W 28-41
フランス ディビジョン2 10/06 12:15 6 ペルピニャン v ソヨー・アングレーム W 48-10
フランス ディビジョン2 09/27 18:45 5 ルーアン v ペルピニャン L 12-10
フランス ディビジョン2 09/13 18:45 4 カルカソンヌ v ペルピニャン L 24-22
フランス ディビジョン2 09/08 12:25 3 ペルピニャン v コロミエ W 34-13
フランス ディビジョン2 09/01 12:25 2 Provence v ペルピニャン L 25-10
フランス ディビジョン2 08/22 18:45 1 ペルピニャン v ベジエ W 23-13
フランス ラグビー選手権 05/25 14:15 26 トゥールーズ v ペルピニャン L 47-7
フランス ラグビー選手権 05/18 13:00 25 ペルピニャン v ラシン・メトロ L 14-52
フランス ラグビー選手権 05/04 16:00 24 クレルモン v ペルピニャン L 35-13

Wikipedia - USAペルピニャン

ユニオン・スポルティヴ・アルルカン・ペルピニャネ(仏: Union Sportive Arlequins Perpignanais)は、フランスのペルピニャンに本拠地を置くラグビーユニオンクラブである。トップ14に所属。通称はUSAペルピニャン(USA Perpignan)。

History

1902年、ASペルピニャンとして創設された。1914年にフランス選手権の決勝に初めて進み初タイトルを獲得したが、直後に第一次世界大戦でこの時の優勝メンバーが数人亡くなっている。

1919年、クラブ名がUSペルピニャンとなった。1921年にはフランス選手権の決勝でスタッド・トゥールーザンを破り、2回目のタイトルを獲得した。1924年からは3シーズン連続で決勝に進出し、1924年・1926年はいずれもスタッド・トゥールーザンに敗れ準優勝に終わったが、1925年はASカルカソンヌに勝利して優勝を果たした。

1933年、クラブ名が現在のUSAペルピニャンとなった。1930年代はフランス選手権の決勝に3回進み、いずれもビアリッツ・オランピックとの戦いとなり、1935年・1939年は敗れ、1938年は勝利した。その後、第二次世界大戦による中断を挟んで1955年までに3回決勝に進み、2度のタイトルを獲得したが、その後は結果を残せず低迷するシーズンが続いた。1977年と1998年に進んだ決勝でもそれぞれASベジエ・エロー、スタッド・フランセに敗れた。

それでも徐々に強さを取り戻したペルピニャンは、2002-03シーズンのハイネケンカップ、2003-04シーズンのトップ16で準優勝した。2008年に獲得したダン・カーターはアキレス腱を痛め期待されたような結果を残せなかったが、2008-09シーズンのトップ14ではASMクレルモン・オーヴェルニュを下し1955年以来の悲願の優勝を飾った。

2013-14シーズン、トップ14で13位に終わったUSAペルピニャンはプロD2(2部)に降格した。2017-18シーズン、プロD2のリーグ戦を1位で終えると、昇格をかけたプレーオフにおいて決勝でFCグルノーブルを破り優勝し、2018-19シーズンのトップ14復帰を決めた。

2018-19シーズン、トップ14で最下位に終わりプロD2(2部)に降格した。2020-21シーズンはプロD2のリーグ戦を1位で終えると、昇格をかけたプレーオフにおいて決勝でビアリッツ・オランピックを破り優勝し、2021-22シーズンのトップ14復帰を決めた。