フランス ラグビー選手権 09/04 14:05 1 ブリーヴ v ペルピニャン L 36-15
フランス ディビジョン2 06/05 15:30 1 ペルピニャン v ビアリッツ W 33-14
フランス ディビジョン2 05/30 13:30 2 ペルピニャン v オヨナ W 27-15
フランス ディビジョン2 05/14 16:30 30 ペルピニャン v ヴァンヌ W 30-17
フランス ディビジョン2 05/07 17:00 29 ルーアン v ペルピニャン L 31-17
フランス ディビジョン2 04/22 18:50 28 ペルピニャン v ヌヴェール W 37-16
フランス ディビジョン2 04/15 18:50 27 ベジエ v ペルピニャン W 14-19
フランス ディビジョン2 04/08 18:50 26 ペルピニャン v ビアリッツ W 29-27
フランス ディビジョン2 04/01 16:30 25 オーリヤック v ペルピニャン D 27-27
フランス ディビジョン2 03/25 19:50 24 グルノーブル v ペルピニャン W 20-28
フランス ディビジョン2 03/11 19:45 23 ペルピニャン v Provence W 42-3
フランス ディビジョン2 03/04 19:45 22 オヨナ v ペルピニャン W 28-35
フランス ディビジョン2 02/26 18:00 21 ペルピニャン v バレンス・ローマンズ W 24-20
フランス ディビジョン2 02/19 18:00 20 ソヨー・アングレーム v ペルピニャン W 17-31
フランス ディビジョン2 02/12 18:00 19 ペルピニャン v カルカソンヌ W 17-9
フランス ディビジョン2 01/30 20:00 18 モントーバン v ペルピニャン L 25-23
フランス ディビジョン2 01/21 19:45 17 ペルピニャン v コロミエ W 28-12
フランス ディビジョン2 01/16 18:00 16 モン・ド・マルサン v ペルピニャン W 7-30
フランス ディビジョン2 01/09 20:00 15 Provence v ペルピニャン W 34-41
フランス ディビジョン2 12/22 16:00 8 コロミエ v ペルピニャン L 23-18
フランス ディビジョン2 12/18 19:45 14 ペルピニャン v オヨナ W 20-10
フランス ディビジョン2 12/10 18:00 13 バレンス・ローマンズ v ペルピニャン W 9-28
フランス ディビジョン2 12/04 18:00 12 ペルピニャン v ソヨー・アングレーム W 49-0
フランス ディビジョン2 11/27 18:00 11 ペルピニャン v オーリヤック W 31-6
フランス ディビジョン2 11/19 19:45 10 ヴァンヌ v ペルピニャン W 19-21
フランス ディビジョン2 11/14 20:05 9 ペルピニャン v ベジエ L 10-16
フランス ディビジョン2 10/23 17:00 7 ペルピニャン v モントーバン W 27-6
フランス ディビジョン2 10/15 18:45 6 ヌヴェール v ペルピニャン W 22-25
フランス ディビジョン2 10/10 14:15 5 ペルピニャン v グルノーブル W 26-18
フランス ディビジョン2 10/03 19:00 2 ペルピニャン v モン・ド・マルサン W 50-10

Wikipedia - USAペルピニャン

ユニオン・スポルティヴ・アルルカン・ペルピニャネ(仏: Union Sportive Arlequins Perpignanais)は、フランスのペルピニャンに本拠地を置くラグビーユニオンクラブである。トップ14に所属。通称はUSAペルピニャン(USA Perpignan)。

History

1902年、ASペルピニャンとして創設された。1914年にフランス選手権の決勝に初めて進み初タイトルを獲得したが、直後に第一次世界大戦でこの時の優勝メンバーが数人亡くなっている。

1919年、クラブ名がUSペルピニャンとなった。1921年にはフランス選手権の決勝でスタッド・トゥールーザンを破り、2回目のタイトルを獲得した。1924年からは3シーズン連続で決勝に進出し、1924年・1926年はいずれもスタッド・トゥールーザンに敗れ準優勝に終わったが、1925年はASカルカソンヌに勝利して優勝を果たした。

1933年、クラブ名が現在のUSAペルピニャンとなった。1930年代はフランス選手権の決勝に3回進み、いずれもビアリッツ・オランピックとの戦いとなり、1935年・1939年は敗れ、1938年は勝利した。その後、第二次世界大戦による中断を挟んで1955年までに3回決勝に進み、2度のタイトルを獲得したが、その後は結果を残せず低迷するシーズンが続いた。1977年と1998年に進んだ決勝でもそれぞれASベジエ・エロー、スタッド・フランセに敗れた。

それでも徐々に強さを取り戻したペルピニャンは、2002-03シーズンのハイネケンカップ、2003-04シーズンのトップ16で準優勝した。2008年に獲得したダン・カーターはアキレス腱を痛め期待されたような結果を残せなかったが、2008-09シーズンのトップ14ではASMクレルモン・オーヴェルニュを下し1955年以来の悲願の優勝を飾った。

2013-14シーズン、トップ14で13位に終わったUSAペルピニャンはプロD2(2部)に降格した。2017-18シーズン、プロD2のリーグ戦を1位で終えると、昇格をかけたプレーオフにおいて決勝でFCグルノーブルを破り優勝し、2018-19シーズンのトップ14復帰を決めた。

2018-19シーズン、トップ14で最下位に終わりプロD2(2部)に降格した。2020-21シーズンはプロD2のリーグ戦を1位で終えると、昇格をかけたプレーオフにおいて決勝でビアリッツ・オランピックを破り優勝し、2021-22シーズンのトップ14復帰を決めた。