クラブ親善試合 | 02/27 19:30 | - | シェルボーン v シャムロック・ローヴァーズ | W | 1-2 | |
クラブ親善試合 | 02/21 16:00 | - | シャムロック・ローヴァーズ v LAギャラクシー | L | 0-1 | |
クラブ親善試合 | 01/30 19:00 | - | ウォーターフォードFC v シャムロック・ローヴァーズ | W | 0-3 | |
アイルランド FAIカップ | 10/07 18:45 | 2 | デリーシティ v シャムロック・ローヴァーズ | L | 2-0 | |
アイルランド FAIカップ | 10/05 14:55 | 2 | シャムロック・ローヴァーズ v デリーシティ | D | 1-1 | |
アイルランド プレミアディビジョン | 09/30 19:00 | 28 | シャムロック・ローヴァーズ v ユニバーシティ・カレッジ・ダブリン | W | 3-0 | |
アイルランド プレミアディビジョン | 09/23 18:45 | 25 | ボヘミアンズ・ダブリン v シャムロック・ローヴァーズ | D | 1-1 | |
リーグカップ | 09/20 16:45 | 1 | ダンドーク v シャムロック・ローヴァーズ | L | 3-2 | |
アイルランド FAIカップ | 09/15 18:45 | 3 | ダンドーク v シャムロック・ローヴァーズ | W | 1-2 | |
アイルランド FAIカップ | 09/12 18:05 | 3 | シャムロック・ローヴァーズ v ダンドーク | D | 0-0 | |
アイルランド FAIカップ | 08/22 19:00 | 9 | シャムロック・ローヴァーズ v ロングフォード・タウン | W | 3-0 | |
リーグカップ | 08/04 18:30 | 2 | ボヘミアンズ・ダブリン v シャムロック・ローヴァーズ | W | 0-2 | |
クラブ親善試合 | 08/02 14:00 | - | シャムロック・ローヴァーズ v QPR | L | 0-4 | |
クラブ親善試合 | 07/14 19:00 | - | シャムロック・ローヴァーズ v ウォルヴァ―ハンプトン | L | 1-4 | |
アイルランド FAIカップ | 06/07 16:00 | 8 | シェリフYC v シャムロック・ローヴァーズ | W | 0-4 | |
クラブ親善試合 | 05/14 16:30 | - | シャムロック・ローヴァーズ v リバプールFC | L | 0-4 | |
クラブ親善試合 | 02/15 15:00 | - | ウォーターフォードFC v シャムロック・ローヴァーズ | W | 0-4 |
シャムロック・ローヴァーズ・フットボール・クラブ(英: Shamrock Rovers Football Club、アイルランド語: Cumann Peile Ruagairí na Seamróige)は、アイルランド・タラーに本拠を置くサッカークラブ。
1901年、シャムロック・アベニューの街角で開催された2回目の会議でクラブ名が決定され、シャムロック・ローヴァーズが創設された。クラブはすぐにレンスター・サッカー協会に登録し、最初の2年間を親善試合で過ごした後、1904-05シーズンはダブリン県リーグで優勝した。同年、ダリーマウント・パークで開催されたレンスター・ジュニアカップ決勝でダンドークを2-1で破って優勝した。1905年にレンスター・ジュニアリーグへ加盟し、1905-06シーズンにはリーグ戦とカップ戦の2冠を達成した。1906-07シーズンにレンスター・シニアリーグへ加盟したが、条件だったグラウンドの確保に失敗し、サッカーから撤退した。
1914年にローヴァーズは復活し、レンスター・ジュニアリーグに加盟した。1914-15シーズンはリーグ戦とIFAジュニアカップで優勝した。クラブは再びシニアリーグ参戦を計画したが、第一次世界大戦の影響もあり、次のシーズンはどのリーグにもチームを送り込めなかった。しかし、クラブは解散せず、1920年にレンスター・ジュニアリーグに加盟した。1921年、アイルランドが南北に分割されたことにより、ベルファストに支配されていたIFAのメンバーだった南部のクラブは分離を決意し、FAIを設立した。その結果、レンスター・シニアリーグのクラブ数に空きが出たため、ローヴァーズの加盟が決まった。クラブは過去の過ちから学び、すぐにダブリン郊外のグラウンドを確保した。1921-22シーズンはリーグ優勝を果たしただけではなく、FAIカップ決勝に進出したが、リーグ・オブ・アイルランド優勝のセント・ジェームズ・ゲートに敗れた。1922-23シーズンにリーグ・オブ・アイルランドへ加盟し、初優勝を果たした。
1949年、パディ・コードが選手兼任監督に就任した。1953-54シーズンのリーグ・オブ・アイルランド優勝を皮切りに、1954年から1959年までにリーグ優勝3回、FAIカップ優勝2回を果たし、クラブの黄金時代(コードのコルツ:Coad's Colts)を築いた。UEFAチャンピオンズカップ 1957-58ではミュンヘンの悲劇前のマンチェスター・ユナイテッドと対戦した。
1960年代はクラブの歴史で最も好調な時期の一つで、FAIカップ6連覇を達成したが、リーグ優勝は1回のみだった。
1978年、元リーズ・ユナイテッドのジョニー・ジャイルズが選手兼任監督に就任し、クラブのプロフェッショナル化を目指したが、FAIカップとタイラー・カップ、レンスター・シニアカップを各1回獲得しただけに終わり、実験は失敗した。
1984年から1987年までにリーグ4連覇を達成した。しかし、1987年のグレンマルアー・パークの売却、解体を機にクラブは衰退した。20年間決まったホームスタジアムを持たず、この期間に獲得したタイトルは1994年のリーグ優勝のみだった。2009年にタラー・スタジアムがホームスタジアムに決定し、2010年に17シーズンぶりのリーグ優勝を果たした。