アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 04/02 00:30 | 8 | [6] バンフィエルド v アルヘンティノス・ジュニオルス [7] | W | 0-2 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 03/22 00:30 | 7 | [8] アルヘンティノス・ジュニオルス v ベレス・サルスフィエルド [14] | W | 1-0 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 03/15 00:30 | 6 | [8] アルヘンティノス・ジュニオルス v ディフェンサ・イ・フスティシア [4] | L | 0-1 | |
アルゼンチンカップ | 03/09 20:10 | 6 | アルヘンティノス・ジュニオルス v オリンポBブランカ | W | 2-0 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 03/05 00:30 | 5 | [11] ヒムナシア・ラ・プラタ v アルヘンティノス・ジュニオルス [5] | D | 2-2 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 02/28 00:30 | 4 | [7] アルヘンティノス・ジュニオルス v サンロレンソ [12] | D | 1-1 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 02/23 00:30 | 3 | [10] ラシン・クラブ v アルヘンティノス・ジュニオルス [3] | L | 3-0 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 02/15 20:00 | 2 | [1] アルヘンティノス・ジュニオルス v ニューウェルズ [4] | W | 3-0 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 02/10 22:15 | 1 | パトロナート・デ・パラナ v アルヘンティノス・ジュニオルス | W | 0-1 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 12/11 20:00 | 25 | [18] アルヘンティノス・ジュニオルス v サルミエント [22] | W | 2-0 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 12/06 22:15 | 24 | [19] CAアルドシヴィ v アルヘンティノス・ジュニオルス [15] | L | 3-2 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 11/28 22:15 | 23 | [17] アルヘンティノス・ジュニオルス v ヒムナシア・ラ・プラタ [10] | W | 3-0 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 11/24 00:30 | 22 | [5] ベレス・サルスフィエルド v アルヘンティノス・ジュニオルス [16] | L | 2-0 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 11/20 00:30 | 21 | [14] アルヘンティノス・ジュニオルス v ゴドイクルス [13] | D | 0-0 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 11/08 22:00 | 20 | [10] ウラカン v アルヘンティノス・ジュニオルス [15] | D | 1-1 | |
アルゼンチンカップ | 11/04 00:10 | 2 | ボカジュニアーズ v アルヘンティノス・ジュニオルス | L | 1-0 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 10/30 00:15 | 19 | [14] アルヘンティノス・ジュニオルス v ラヌース [4] | L | 0-1 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 10/25 22:00 | 18 | [1] リーベルプレート v アルヘンティノス・ジュニオルス [13] | L | 3-0 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 10/21 17:30 | 17 | [15] アルヘンティノス・ジュニオルス v コロン [7] | W | 3-1 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 10/17 18:45 | 16 | [21] アトレティコ・トゥクマン v アルヘンティノス・ジュニオルス [13] | L | 4-3 | |
アルゼンチンカップ | 10/14 00:10 | 3 | アルヘンティノス・ジュニオルス v CAサンテルモ | W | 2-1 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 10/09 16:30 | 15 | [9] アルヘンティノス・ジュニオルス v ディフェンサ・イ・フスティシア [13] | L | 0-2 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 10/03 16:30 | 14 | [16] ロサリオセントラル v アルヘンティノス・ジュニオルス [12] | W | 0-1 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 09/27 21:00 | 13 | [15] アルヘンティノス・ジュニオルス v ラシン・クラブ [10] | W | 2-0 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 09/19 18:45 | 12 | [24] CAプラテンセ v アルヘンティノス・ジュニオルス [13] | D | 0-0 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 09/15 19:30 | 11 | [13] アルヘンティノス・ジュニオルス v パトロナート・デ・パラナ [15] | D | 1-1 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 09/06 21:00 | 10 | [6] エストゥディアンテスLP v アルヘンティノス・ジュニオルス [15] | D | 1-1 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 08/30 17:30 | 9 | [20] ユニオンサンタフェ v アルヘンティノス・ジュニオルス [11] | L | 1-0 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 08/26 19:30 | 8 | [8] アルヘンティノス・ジュニオルス v CAタジェレス・デ・コルドバ [6] | L | 1-2 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 08/22 21:00 | 7 | [16] サンロレンソ v アルヘンティノス・ジュニオルス [12] | W | 0-1 |
アソシアシオン・アトレティカ・アルヘンティノス・ジュニアーズ(スペイン語: Asociación Atlética Argentinos Juniors)は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスのラ・パテルナル地区を本拠地とするサッカークラブである。
1970年代にディエゴ・マラドーナなどが、1980年代にクラウディオ・ボルギやフェルナンド・レドンドなどがアルヘンティノスからプロデビューし、やがてビッグクラブへと羽ばたいていった。また、フアン・ロマン・リケルメやエステバン・カンビアッソも、アルヘンティノスの下部組織でプレーした経験がある。1985年にはコパ・リベルタドーレスで優勝してインターコンチネンタルカップに出場した。
アルヘンティノスの起源は1886年まで遡る。アメリカに端を発する社会主義的着想によって、数千マイル離れたアルゼンチンにロス・マルティレス・デ・チカゴと呼ばれるクラブが設立された。その18年後、ロス・マルティレス・デ・チカゴはソル・デ・ビクトリアと合併してアソシアシオン・アトレティカ・イ・フトゥボリスティカ・アルヘンティノス・ウニードス・デ・ビジャ・クレスポが誕生したが、この長大なクラブ名はクラブエンブレム決定の際に問題となり、アソシアシオン・アトレティカ・アルヘンティノス・ジュニアーズ (Asociacion Atletica Argentinos Juniors) に短縮された。それまでの緑色と白色のユニフォームは、社会主義のシンボルカラーに起因する赤色と黒色のストライプに変更された。1921年にプリメーラ・ディビシオンに初昇格し、トップリーグで16シーズンプレー。しかし1930年代半ばにクラブ存続の危機に陥ると、スタジアムからの立ち退きを命じられ、クラブ会員はかろうじて100人を超える程度まで減少した。
1950年代に指揮を執ったフランシスコ・ファンディーノ監督が目指したスタイリッシュなパスサッカーは、El Tifón de Boyacá(ボジャカの台風)として知られた。アルヘンティノスは名声を手に入れ、ディエゴ・マラドーナなどの若手有望選手を惹きつけた。1976年には15歳のマラドーナがトップチームデビューし、1980年にはリーグ戦で準優勝。マラドーナは4シーズン連続でリーグ得点王に輝いたが、不思議なことに、アルヘンティノスに黄金期が訪れたのは彼のボカ・ジュニアーズ移籍後であった。ロベルト・サポリティ監督に率いられたメトロポリターナ1984ではプロ化後初のリーグ優勝を飾り、クラウディオ・ボルギ、セルヒオ・バティスタ、ペドロ・パスクッリなどがマラドーナらとともに2年後の1986 FIFAワールドカップ優勝メンバーとなった。ホセ・ジュディカ監督が率いたナシオナル1985ではクラブ2度目のリーグ優勝を果たし、同年のコパ・リベルタドーレスでは決勝でアメリカ・デ・カリ(コロンビア)を破って初優勝した。インターコンチネンタルカップではミシェル・プラティニ擁するユヴェントスFC(イタリア)と対戦したが、PK戦の末に敗れて準優勝に終わった。
1988年11月20日のラシン・クラブ戦はPK戦にもつれ込んだが、このPK戦でのキッカーの人数は世界記録となった。両クラブ合わせて44人がPKを蹴り、アルヘンティノスが20-19でPK戦に勝利した。
1990年代には再び財政問題に直面し、1996年にはプリメーラB・ナシオナル(2部)降格。フアン・ロマン・リケルメやエステバン・カンビアッソなど若手有望株の売却を余儀なくされた。彼らはアルヘンティノスの下部組織でプレーしていたが、リケルメはボカ・ジュニアーズの下部組織に移った後にボカからデビューし、カンビアッソはレアル・マドリードと契約した後にローン先のCAインデペンディエンテからトップリーグデビューした。再びプリメーラ・ディビシオンに昇格するものの、2002年にもプリメーラB・ナシオナルに降格して2004年まで在籍。クラブ存続の危機に瀕したが、若手選手育成に力を注いで危機を脱した。2003年12月26日にホームスタジアムが再オープンすると、2008年のコパ・スダメリカーナでは準決勝に進出し、クラブのレジェンドであるクラウディオ・ボルギ監督の下でクラウスーラ2010を制した。