フランス ラグビー選手権 06/05 19:05 26 トゥールーズ v ビアリッツ L 80-7
フランス ラグビー選手権 05/21 15:15 25 ビアリッツ v クレルモン L 8-26
フランス ラグビー選手権 04/30 15:00 24 ビアリッツ v カストル L 13-48
フランス ラグビー選手権 04/23 15:15 23 ラシン・メトロ v ビアリッツ L 40-7
欧州ラグビー・チャレンジカップ 04/15 17:00 5 ビアリッツ v ワスプス・ラグビー L 29-39
欧州ラグビー・チャレンジカップ 04/09 19:00 5 ビアリッツ v トゥーロン W 20-17
フランス ラグビー選手権 04/02 15:00 22 ビアリッツ v ポー L 19-42
フランス ラグビー選手権 03/26 16:00 21 モンペリエ v ビアリッツ L 37-22
フランス ラグビー選手権 03/05 16:00 20 ビアリッツ v トゥーロン L 17-45
フランス ラグビー選手権 02/26 16:15 19 リヨン v ビアリッツ L 34-15
フランス ラグビー選手権 02/19 16:00 18 スタッドフランセ v ビアリッツ L 65-19
フランス ラグビー選手権 02/06 20:05 17 ビアリッツ v ラ・ロシェル W 27-24
フランス ラグビー選手権 01/29 16:00 16 ブリーヴ v ビアリッツ L 33-10
欧州ラグビー・チャレンジカップ 01/14 20:00 3 ビアリッツ v ニューカッスル・ファルコンズ L 13-17
フランス ラグビー選手権 01/08 16:00 15 ビアリッツ v ペルピニャン L 23-25
フランス ラグビー選手権 01/02 15:00 14 ボルドー v ビアリッツ L 30-27
フランス ラグビー選手権 12/27 18:00 13 ビアリッツ v モンペリエ L 12-27
欧州ラグビー・チャレンジカップ 12/18 15:15 2 ウスター・ウォリアーズ v ビアリッツ D 0-0
欧州ラグビー・チャレンジカップ 12/11 13:00 1 ゼブレ v ビアリッツ W 13-26
フランス ラグビー選手権 12/04 14:00 12 クレルモン v ビアリッツ L 39-11
フランス ラグビー選手権 11/27 14:00 11 ビアリッツ v スタッドフランセ W 17-14
フランス ラグビー選手権 11/06 13:45 10 ポー v ビアリッツ L 33-21
フランス ラグビー選手権 10/30 13:00 9 トゥーロン v ビアリッツ L 13-9
フランス ラグビー選手権 10/23 13:00 8 ビアリッツ v ブリーヴ W 37-9
フランス ラグビー選手権 10/16 13:00 7 カストル v ビアリッツ L 38-20
フランス ラグビー選手権 10/09 13:00 6 ビアリッツ v リヨン L 5-40
フランス ラグビー選手権 10/02 15:00 5 ビアリッツ v トゥールーズ L 11-17
フランス ラグビー選手権 09/25 13:00 4 ラ・ロシェル v ビアリッツ L 59-17
フランス ラグビー選手権 09/18 13:00 3 ビアリッツ v ラシン・メトロ W 28-19
フランス ラグビー選手権 09/11 13:00 2 ペルピニャン v ビアリッツ L 33-20

ビアリッツ・オランピック・ペイ・バスク(仏: Biarritz Olympique Pays Basque)は、フランスのアキテーヌ地域圏ピレネー=アトランティック県ビアリッツに本拠地を置くラグビーユニオンクラブである。ビアリッツ・オランピック、または単にビアリッツとして知られる。日本語ではビアリッツ・オリンピックとも。プロD2(2部)に所属。

History

初期

クラブの歴史は19世紀末にまで遡る。アキテーヌ地域圏ピレネー=アトランティック県ビアリッツにあったある運動クラブは、1902年にビアリッツ・スタッド (Biarritz Stade)と名付けられ、ラグビー部門を開設した。1909年にはビアリッツ・スポルティン・クラブ (Biarritz Sporting Club)が設立された。1913年4月26日、ふたつのクラブの融合が行われた。新クラブの名称はビアリッツ・オランピック(Biarritz Olympique)となり、M.P.シャンパーニュが初代会長に就任した。1934年5月13日、ビアリッツ・オランピックはトゥールーズのスタッド・ド・ポン・ジュメル(英語版)に集まった18,000人の前でフランス選手権決勝を戦ったが、アヴィロン・バイヨネに8-13で敗れた。バイヨンヌはビアリッツの隣町であり、ふたつのクラブの本拠地は3マイルほどしか離れていなかった。フランス選手権決勝がバスク地方のクラブ同士となったのは、この対戦が唯一である。

一年後、ビアリッツは再び全国選手権の決勝にコマを進め、今度はUSAペルピニャンと対戦した。ビアリッツは3-0で勝利し、初めてフランス王者となった。1930年代にはその後も成功を継続し、1938年のフランス選手権では、決勝で再びペルピニャンと対戦したが、今度は6-11で敗れた。その一年後、両クラブは決勝で再会し、6-0で勝利したビアリッツが2度目の国内王者となった。しかし、その後の半世紀間、ビアリッツはフランスリーグで際立った成績を残すことはなかった。1930年代、ビアリッツは決勝でペルピニャンと2度対戦しており、1勝1敗だった。その後は半世紀以上も決勝での対戦はなかったが、1992年には再びフランス選手権決勝で顔を合わせている。

1980年代と1990年代

1980年代末まで、BOという愛称を持つビアリッツがリーグの頂点に到達することはなかった。1989年、ビアリッツは1937年シーズン以来となるシャランジュ・イヴ・デュ・マノワール(英語版)の決勝に出場したが、RCナルボンヌに12-18で敗れた。1992年のフランス選手権では、パリのパルク・デ・プランスで行われた決勝に進出したが、RCトゥーロンに14-19で敗れた。1997-98シーズンには初めてヨーロピアン・ラグビーカップ戦に参加し、欧州チャレンジカップに出場した。ビアリッツはプールステージで6試合中3試合に勝利したが、プールステージを通過することはできなかった。1998年、ビアリッツ・オランピックから、現在の名称であるビアリッツ・オランピック・ペイ・バスク (Biarritz Olympique Pays Basque)に名称が変更された。1998-99シーズンも前シーズンと同様であり、6試合中4試合に勝利したが、フランスのアジャンとCAブリーヴの後ろのプール3位で終えた。

3度目の欧州チャレンジカップのプールステージで、ビアリッツは1敗しかせずにプール首位となった。しかし、準々決勝ではイングランドのブリストル・ラグビー・クラブに敗れた。1999-00シーズンのクープ・ドゥ・フランスでは、決勝でブリーヴを24-13で破り、ビアリッツは1937年以来となる優勝を飾った。これによって、ビアリッツはハイネケンカップの出場権を得た。

2000年代

2006年のトップ14決勝後に優勝を祝うビアリッツの選手

2000-01シーズンのハイネケンカップでは、Thomond Parkで行われた準々決勝でアイルランドのマンスター・ラグビーに29-38で敗れた。2001-02シーズンのハイネケンカップでは、プールステージの6試合で2勝し、プール2位で準々決勝に進出したが、決勝に進むことはできなかった。

2002年、ビアリッツは過去10年間で初めてフランス選手権で決勝に進出した。サン=ドニのスタッド・ド・フランスに集まった78,457人の前で決勝が行われ、SUアジャンを25-22で下した。クープ・ドゥ・フランスでも決勝に進出し、19-21でアトランティック・スタッド・ロシェライに敗れて準優勝だった。2002-03シーズンのハイネケンカップでもビアリッツは成功を記録し、プールステージを首位で終えたが、準々決勝ではダブリンのランズダウン・ロードでレンスター・ラグビーに13-18で敗れた。

2003-04シーズンのハイネケンカップは過去最高の成績を記録し、ビアリッツは初めて準決勝に到達した。プールステージを首位で終え、準々決勝ではラネリ・スカーレッツを破った。準決勝では同じフランスのクラブ、スタッド・トゥールーザンに11-19で敗れた。2004-05シーズンのハイネケンカップでは、プールステージでロンドン・ワスプスに1敗を喫したが、プールの首位で6試合を終えた。準々決勝ではマンスターを破り、準決勝進出という前シーズンの成功を繰り返した。パルク・デ・プランスで行われた準決勝では、スタッド・フランセに17-20で敗れた。しかし、2005年のフランス選手権決勝では、とても困難な挑戦だったがスタッド・フランセを37-34で下して優勝した。

2005-06シーズンのハイネケンカップでは決勝でマンスターと対戦した。プールステージ緒戦ではイングランドのサラセンズに敗れたが、残り5試合に全勝してプール4で首位となった。準々決勝ではイングランドのセール・シャークスに11-6で勝利し、準決勝ではイングランドのバース・ラグビーに18-9で勝利した。決勝ではマンスターに19-23で敗れた。

しかし、ハイネケンカップでの敗北を忘れ、2005-06シーズンのトップ14で決勝に進出することができた。決勝ではトゥールーザンと対戦し、9-6とリードする接戦でハーフタイムを迎えたが、後半に勝利への襲撃を開始し、最終的には40-13で勝者に返り咲いた。2006-07シーズンのハイネケンカップではプールステージの6試合に全勝し、29ポイントでグループ首位となった。準々決勝ではエスタディオ・アノエタにノーサンプトン・セインツを迎えたが、試合をひっくり返されて7-8で競り負けた。

2010年のハイネケンカップのプールステージでは、いずれもアノエタでウェールズのオスプリーズとマンスターに勝利したが、5月22日の土曜日にスタッド・ド・フランスで行われて激しい戦いとなった決勝では、トゥールーザンに19-21で負けた。2012年5月18日、トゥイッケナム・ストゥープで行われた2011-12シーズンの欧州チャレンジカップ決勝で、ビアリッツはトップ14のライバルでもあるRCトゥーロンを21-18で破った。2013-14シーズンはトップ14で低迷し、ラグビー・プロD2(2部)に降格した。