ブラジル セリエ D 07/09 19:00 12 [8] クルゼイロAL v ASA [6] W 0-2
ブラジル セリエ D 07/01 20:00 11 [5] ASA v セルジッペ [3] D 1-1
ブラジル セリエ D 06/28 23:00 10 [7] ASA v Falcon [8] W 1-0
ブラジル セリエ D 06/17 20:00 9 [6] アトレティコBA v ASA [5] L 1-0
ブラジル セリエ D 06/14 23:00 8 [4] ASA v レトロ [1] L 1-2
ブラジル セリエ D 06/11 20:00 7 [1] レトロ v ASA [3] L 3-1
ブラジル セリエ D 06/07 23:00 6 [2] ASA v アトレティコBA [8] L 0-1
ブラジル セリエ D 06/03 19:00 5 [7] Falcon v ASA [3] W 0-1
ブラジル セリエ D 05/27 19:00 4 [6] セルジッペ v ASA [2] L 2-1
ブラジル セリエ D 05/20 20:00 3 [1] ASA v クルゼイロ・アラピラカ [3] L 0-2
ブラジル セリエ D 05/13 20:00 2 [2] ASA v バイーア・デ・フェイラ [1] W 1-0
ブラジル セリエ D 05/07 19:00 1 [4] ジャクイペンセ v ASA [4] W 1-2
ブラジル カンピオナート・アラゴアーノ 04/08 19:00 1 [1] CRB v ASA [2] L 1-0
ブラジル カンピオナート・アラゴアーノ 04/01 19:00 1 [2] ASA v CRB [1] L 0-2
ブラジルの試合 03/29 23:00 1 [1] ASA v CSE [2] L 5-6
ブラジルの試合 03/26 19:00 2 ASA v セントロ・スポルチーヴォ・アラゴアーノ W 5-2
ブラジルの試合 03/23 22:00 3 ASA v CEオルホダグエンセ W 4-0
ブラジル カンピオナート・アラゴアーノ 03/18 22:00 2 [2] ASA v ムリシ [3] W 1-0
ブラジルの試合 03/15 22:00 - ASA v ズンビEC W 1-0
ブラジルの試合 03/15 19:00 - ASA v ズンビEC W 1-0
ブラジル カンピオナート・アラゴアーノ 03/12 19:00 2 [3] ムリシ v ASA [2] D 1-1
ブラジルの試合 03/08 23:00 - ASA v クルゼイロ・アラピラカ W 1-0
ブラジルの試合 03/05 19:00 - CSE v ASA D 1-1
コパ・ド・ブラジル 03/01 22:00 7 ASA v ゴイアス D 1-1
ブラジル カンピオナート・アラゴアーノ 02/26 19:00 7 [6] クルゼイロ・アラピラカ v ASA [3] W 1-2
ブラジルの試合 02/18 19:00 - ASA v ミゲレンセFC W 7-0
ブラジルの試合 02/15 18:00 - CRB B v ASA W DBFA
ブラジル カンピオナート・アラゴアーノ 02/12 19:00 6 ASA v Desportivo Alianca W 2-0
ブラジルの試合 02/05 19:00 - [4] ASA v ムリシ [2] W 1-0
ブラジル カンピオナート・アラゴアーノ 01/31 23:30 5 [4] ASA v CRB [1] L 1-2

アグレミアソン・スポルチーヴァ・アラピラケンセ (ポルトガル語: Agremiação Sportiva Arapiraquense) 、通称ASAは、ブラジル・アラゴアス州アラピラカを本拠地とするサッカークラブである。ASA・デ・アラピラカ (ASA de Arapiraca) と表記されることもある。

History

かつて同じ都市にあったフェロヴィアリオ・ジ・アラピラカ (Ferroviário de Arapiraca) というクラブがなくなった後、1952年9月25日に実業家と市当局によってアソシアソン・スポルチーヴァ・アラピラケンセ (Associação Sportiva Arapiraquense) として創設された。初代会長にはアントニオ・ペレイラ・ローシャが就いた。

1953年、クラブにとって初のプロフェッショナル大会となるカンピオナート・アラゴアーノに参戦した。ASAは決勝へと進んだが、対戦相手のフェロヴィアリオがASAとの対戦を拒否したため、アラゴアス州サッカー連盟はASAがチャンピオンであると宣言した。これはクラブにとって最初のタイトルでもあった。

1977年9月4日、クラブ名を現在のアグレミアソン・スポルチーヴァ・アラピラケンセに改めた。

1979年、ASAはカンピオナート・ブラジレイロ・セリエAに初参戦し、40位となった。クラブにはその好成績から「アラゴアスの亡霊」(Fantasma das Alagoas) というあだ名が付けられた。

1982年、緑色がクラブカラーのひとつに採り入れられたが、すぐに除かれた。

2000年代にクラブは州選手権で大きな成功をおさめ、2000・2001・2003・2005・2009シーズンに優勝した。2000年にASAはコパ・ジョアン・アヴェランジェのモドゥロ・ヴェルデ(3部相当)に参戦し、第1ステージで敗退した。2001年、コパ・ド・ブラジルに初出場し、1回戦でヴィトーリアに敗れた。2002年、ASAは再び同大会に出場した。1回戦ではパルメイラスを破る番狂わせを見せたが、2回戦でコンフィアンサに敗れた。2009年、カンピオナート・ブラジレイロ・セリエC決勝でASAはアメリカ・ミネイロに敗れ、2位となった。

ASA(アソウシアソン・スポルチバ・アラゴアナ)はブラジルのアラゴアス州・アラピラカを本拠地とするサッカークラブである。

クラブは1950年9月25日に創設された。クラブ名はアラゴアス州の略称「AL」と、アラピラカの略称「AP」を組み合わせたものになっている。

ASAは2000年にカンピオナート・ブラジレイロ・セリエC(ブラジル全国選手権3部)で優勝し、セリエB(2部)に昇格。2002年にはセリエBで3位となり、セリエA(1部)に初昇格を果たした。しかし、セリエAではわずか1年で降格。その後、セリエBとセリエCを行き来するシーズンが続いている。

ASAのホームスタジアムは、エスタジオ・フェルナンド・コロネル・デ・アラウーホである。収容人数は約15,000人。

クラブのライバルは、同じアラゴアス州を本拠地とするCRBとCSAである。