結果

アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 04/16 22:30 14 [4] ディフェンサ・イ・フスティシア v ニューウェルズ [7] L 1-0
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 04/06 20:00 13 [3] ニューウェルズ v ボカジュニアーズ [5] L 1-3
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 03/31 19:00 12 [13] サルミエント v ニューウェルズ [7] W 0-1
アルゼンチンカップ 03/22 18:00 6 ニューウェルズ v フェロカリール・ミッドランド W 2-0
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 03/16 00:00 11 [4] ニューウェルズ v CAプラテンセ [9] D 0-0
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 03/10 20:00 10 [1] ゴドイクルス v ニューウェルズ [4] D 1-1
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 03/08 00:15 9 [7] ニューウェルズ v CAティグレ [14] W 1-0
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 03/04 00:30 8 [7] ニューウェルズ v サンロレンソ [9] D 2-2
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 02/25 22:45 7 [5] ニューウェルズ v ロサリオセントラル [9] L 0-1
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 02/19 22:15 6 [4] エストゥディアンテスLP v ニューウェルズ [3] L 2-0
欧州親善試合 02/16 00:30 - インテルマイアミCF v ニューウェルズ D 1-1
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 02/13 00:00 5 [1] ニューウェルズ v ラシン・クラブ [4] L 0-4

Stats

 TotalHomeAway
Matches played 50 23 27
Wins 18 8 10
Draws 16 9 7
Losses 16 6 10
Goals for 52 23 29
Goals against 46 20 26
Clean sheets 20 11 9
Failed to score 16 8 8

クルブ・アトレティコ・ニューウェルズ・オールドボーイズ(スペイン語: Club Atlético Newell's Old Boys)は、アルゼンチン・サンタフェ州ロサリオを本拠地とするサッカークラブである。

History

イングランドからロサリオに移民したアイザック・ニューウェルは鉄道電信技士として働いた後、1884年にコレヒオ・コメルシアル・アングリカーノ・アルヘンティーノという名称の商業学校を設立した。当時はアルゼンチン各地の学校でサッカーが広まりつつあった時代で、1900年に学校長の座を息子に譲ると、自身はサッカークラブ設立に尽力し、1903年11月3日にCAニューウェルズ・オールドボーイズが設立された。当初は学校のモチーフカラーと同じ白色と青色のシャツを着ていたが、すぐに黒色と赤色のシャツに変更された。赤色はイサークの母国イングランド国旗に由来し、黒色は妻の母国ドイツの国旗に由来する。1905年のリーガ・ロサリーナ初回大会では、CAロサリオ・セントラルと間で初のロサリオ・ダービーが開催された。ロサリオ・ダービーはアルゼンチンで最も激しいローカル・ダービーのひとつであるとされ、両クラブ間での選手の行き来はほとんどない。1920年代、地元のハンセン病専門病院の援助のためにニューウェルズとセントラルがチャリティマッチに招待されたが、セントラルが出場を拒否したのに対してニューウェルズは快く応じたことから、敬意をこめてLos Leprosos(ロス・レプロソス、ハンセン病患者)と呼ばれるようになり、一方のセントラルはLos Canallas(ロス・カナーリャス、ごろつき/悪党)という愛称で呼ばれるようになった。アマチュア時代やセミプロ時代には何度かタイトルを獲得し、1925年にはフリオ・リボナッティがアルゼンチン人初の国外移籍(イタリアのトリノFCへ)を果たした。

ホルヘ・バルダーノやアメリコ・ガジェゴなどに牽引されたメトロポリターノ1974では、最終節のロサリオ・ダービーで0-2の劣勢を2-2の引き分けに持ち込み、プロ化後初のリーグ優勝を決めた。アルゼンチンが初優勝した1978 FIFAワールドカップではガジェゴが優勝メンバーとなっている。また、1977年にはセルヒオ・オマール・アルミロンがトップチームデビューし、1986 FIFAワールドカップの優勝メンバーとなった。1987-88シーズンには2度目のリーグ優勝を果たしたが、この年のチームは選手全員が下部組織出身であった。1990年には下部組織を指導していたマルセロ・ビエルサ監督がトップチームの監督に就任し、1990-91シーズンとクラウスーラ1992でリーグ優勝を果たした。また、1988年と1992年にはコパ・リベルタドーレスで決勝に進出したが、どちらの大会も決勝で敗れて準優勝に終わっている。1993年にはセビージャFCからディエゴ・マラドーナが加入したが、わずか数試合に出場しただけでニューウェルズを去った。これ以後の10年間は停滞期であったが、2003年にはレジェンドであるガジェゴが監督に就任し、アペルトゥーラ2004で12年ぶり5回目のリーグ優勝を果たした。現役引退を表明していたアリエル・オルテガがこのシーズンに選手復帰を果たしている。2008-09シーズン開幕の段階では降格の危機に立っていたが、アペルトゥーラ2008では堅実なプレーぶりで5位となり、選手としてもニューウェルズでプレーしたネストル・センシーニ監督に率いられたアペルトゥーラ2009では、CAバンフィエルドに次ぐ2位に躍進した。2010年前半にはコパ・リベルタドーレスに出場して1回戦敗退に終わったが、同年後半に出場したコパ・スダメリカーナではベスト8となった。