中国 スーパーリーグ | 11/04 07:30 | 30 | [16] 深圳 v 北京中赫国安 [6] | L | 0-3 | |
中国 スーパーリーグ | 10/29 07:30 | 29 | [7] 武漢スリータウンズ v 深圳 [16] | L | 1-0 | |
中国 スーパーリーグ | 10/23 11:35 | 28 | [7] 成都銭宝 v 深圳 [16] | L | 4-0 | |
中国 スーパーリーグ | 09/29 11:35 | 27 | [16] 深圳 v 長春亜泰 [9] | L | 0-1 | |
中国 スーパーリーグ | 09/24 11:35 | 26 | [16] 深圳 v 浙江 [5] | L | 0-5 | |
中国 スーパーリーグ | 09/16 11:35 | 25 | [12] 梅州客家 v 深圳 [16] | L | 5-1 | |
中国 スーパーリーグ | 08/25 11:35 | 24 | [16] 深圳 v 山東泰山 [2] | L | 1-2 | |
中国 スーパーリーグ | 08/19 11:35 | 23 | [16] 深圳 v 南通支雲 [15] | L | 0-1 | |
中国 スーパーリーグ | 08/13 11:35 | 22 | [15] 大連人職業 v 深圳 [16] | L | 2-1 | |
中国 スーパーリーグ | 08/09 11:35 | 21 | [4] 上海緑地申花 v 深圳 [16] | L | 3-0 | |
中国 スーパーリーグ | 08/05 11:35 | 20 | [10] 石家荘永昌 v 深圳 [15] | L | 1-0 | |
中国 スーパーリーグ | 07/28 11:35 | 19 | [12] 河南嵩山龍門足球倶楽部 v 深圳 [15] | L | 3-1 |
Total | Home | Away | |
---|---|---|---|
Matches played | 23 | 9 | 14 |
Wins | 1 | 1 | 0 |
Draws | 2 | 0 | 2 |
Losses | 20 | 8 | 12 |
Goals for | 14 | 6 | 8 |
Goals against | 67 | 24 | 43 |
Clean sheets | 0 | 0 | 0 |
Failed to score | 13 | 5 | 8 |
深圳市足球倶楽部(漢音読み:しんせんし-そっきゅうくらぶ、深圳市足球俱乐部)は、中華人民共和国の南部、広東省深圳市をホームタウンとする、かつて存在していた中国プロサッカーリーグ(甲級リーグ級)に加盟するプロサッカークラブ。2024年に債務問題により解散。
深圳足球倶楽部創立。乙級リーグ(3部)優勝。
甲Bリーグ(2部)優勝。
保険会社「平安(Pingan)グループ」と契約、深圳平安(Shenzhen Pingan)に改名。
携帯電話会社「深圳科健(Kejian)」とも契約し、深圳平安科健(Shenzhen Pingan Kejian)に改名。
その後栄養ドリンク飲料会社「健力宝」と契約し、深圳健力宝(Shenzhen Jianlibao)に改名。
中国超級リーグ開幕。初年度チャンピオンに。
AFCチャンピオンズリーグ2005でACL初出場すると予選で水原、磐田、ホアンアイン・ザライのグループEを4勝1分1敗で首位通過して決勝トーナメントに進出した。準々決勝でアル・アハリと対戦した。アウェイの第1戦を1-2で敗れたが、ホームの第2戦では3-1で勝利し合計スコア4-3で準決勝に進出した。準決勝でアル・アインと対戦した。アウェイの第1戦を0-6の大差で敗れてしまい、ホームの第2戦でも0-0で勝利をすることができず合計スコア0-6で準決勝で敗退が決定した。
ビールメーカー「深圳金威啤酒グループ」と契約し、深圳金威(Shenzhen Kingway)に改名。
製薬メーカー「香雪制葯」と契約し、深圳上清飲(Shenzhen Eisiti)に改名。2008年シーズンまでこのチーム名。
一旦「深圳足球倶楽部」の名称に戻る。
香港の投資家に買収され、「深圳紅鑽足球倶楽部」となる。英文名称は「Shenzhen Ruby Football Club」とする場合が多いが、「Shenzhen Red Diamonds Football Club」の記載も見られる。
フィリップ・トルシエが監督に就任したが、超級リーグで最下位となり甲級(2部リーグ)への降格が決まった。
7月7日、クラレンス・セードルフが監督に就任したことが発表された。だがその後、チームを1部に昇格させることができなかった。
12月5日、クラレンス・セードルフ監督の退任を発表した。それに伴いスヴェン・ゴラン・エリクソン監督の就任を発表した。
超級リーグ最下位となり、甲級(2部リーグ)への降格が決まった。
財政難により、リーグ戦参加が認められず。クラブは解散した。